戦国人物伝 龍造寺隆信 (コミック版日本の歴史)本無料ダウンロードpdf
戦国人物伝 龍造寺隆信 (コミック版日本の歴史)
によって 加来 耕三
4.5 5つ星のうち(1人の読者)
戦国人物伝 龍造寺隆信 (コミック版日本の歴史)本無料ダウンロードpdf - 内容紹介肥前(現在の熊本県)の一土豪から、戦国大名へと成長した龍造寺家。その最盛期に登場したのが龍造寺隆信です。隆信は、多くの土豪や大名が勢力争いをしていた九州という激戦区で、薩摩の島津氏や豊後の大友氏と争って北九州(肥前・筑前・筑後・肥後・豊前)に覇を唱え、「五州二島の太守」と謳われました。隆信の腹心の家臣で、のちの佐賀藩藩祖となった鍋島直茂の活躍も見どころの一つです。「武士道とは死ぬことと見つけたり」のフレーズで有名な、武士の心得を記した書物『葉隠』で示された理想の武士こそが、龍造寺隆信と鍋島直茂なのです。戦いに明け暮れ「肥前の熊」とも呼ばれた隆信の強さと弱さを、時代劇漫画の旗手・かねた丸がダイナミックなタッチで描きます。内容(「BOOK」データベースより)薩摩の島津、豊後の大友と九州の覇を争い「肥前の熊」と呼ばれた戦国武将!!著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)加来/耕三 歴史家・作家。1958年、大阪府大阪市生まれ。1981年、奈良大学文学部史学科卒業。2018年に「歴史大賞功労賞」(歴史研究会)を受賞 井手窪/剛 歴史研究家。1972年、愛媛県久万高原町生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学)デンマーク・スウェーデン語学科卒業後、歴史書籍の企画・編集を経て、(株)加来耕三事務所に入社。編集実務に携わりながら、自らの著作活動、講演、テレビ出演も行っている かねた丸 漫画家。1973年岩手県生まれ。2007年に「マガジンGREAT」(のち「マガジンイーノ」)連載の『裏宗家四代目服部半蔵花録』(講談社/全7巻)でデビュー。ダイナミックな画風で時代劇漫画を中心に発表している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
戦国人物伝 龍造寺隆信 (コミック版日本の歴史)の詳細
本のタイトル : 戦国人物伝 龍造寺隆信 (コミック版日本の歴史)
作者 : 加来 耕三
ISBN-10 : 4591162982
発売日 : 2019/6/21
カテゴリ : 本
ファイル名 : 戦国人物伝-龍造寺隆信-コミック版日本の歴史.pdf
ファイルサイズ : 28.63 (現在のサーバー速度は29.66 Mbpsです
以下は 戦国人物伝 龍造寺隆信 (コミック版日本の歴史) の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
戦国時代に大友氏・島津氏と並んで九州三強の一角を形成した龍造寺隆信の初の伝記漫画。戦国時代の九州もまた小豪族の乱立による騒乱状態にあった。龍造寺氏は九州の名門である少弐氏の家臣であったが、少弐氏は徐々に力を失い中国地方の大内氏や豊後の大友氏などに圧迫されるようになる。少弐氏は内紛に陥り龍造寺氏も主家から謀反を疑われ攻められるようになる。そんな中、隆信は出家させられ仏門で修行を積んでいたが豪族の裏切りに遭い、祖父と父親を殺されてしまう。曽祖父で龍造寺氏の中興の祖と詠われる「剛忠」と共に筑後国に逃れた。その後勢力を盛り返した龍造寺家は剛忠の指揮下で勢力を挽回し失地を回復した。名将・剛忠の死後、家督を相続した隆信は還俗する。しかし、周辺には大小の勢力がひしめき合い、前途多難な船出であった。やがて主家であった少弐氏を攻め滅ぼした隆信は中国地方の大内氏に接近し後ろ盾とする。これで不満を持つ家臣たちを押さえ込んだが、大内氏の当主・大内義隆が家臣に殺される事件が起きた。後ろ盾を失った隆信は家臣の離反に遭いまたも筑後国に逃れねばならなくなった。筑後に逃れた際に出会ったのが後に右腕にもなる若武者・鍋島信昌(直茂)である。この名将を中心に勢力を挽回した龍造寺家を危険視した大友氏との衝突は時間の問題だった。大友家の当主・宗麟は8万もの大軍で龍造寺氏の居城を囲む。だが、大勝確実と油断した大友軍を鍋島信昌を中心とした手勢が奇襲を掛けて打ち破った。その後は大友宗麟が島津氏と戦いで大敗して勢力が衰えたこともあり、隆信はさらに勢力を拡大出来た。しかし隆信は度重なる家臣の離反に心身ともに疲弊したようである。特に自身の娘婿である蒲地鎮並の裏切りを一度は許したものの、鎮並は再度裏切りを画策するようになり、証拠を押さえた隆信は蒲地一族を悉く誅殺してしまう。嫁いでいた娘も夫の後を追って自害した。蒲地一族の謀殺は却って家臣たちの離反を招き隆信を苦しめることになる。既に隠居していた隆信は能楽などに耽っていた。そんな中で龍造寺氏に臣従していた有馬晴信が島津に寝返り、島津軍と決戦になる。既に隠居していた隆信は3万の大軍を率いて決戦に臨んだ。敵は8千。数では圧倒的に優勢だった。しかし主戦場は湿地帯で泥田であった。真正面から攻めようとする龍造寺軍は泥に足を取られて進めなくなる。そこを島津の伏兵が襲い掛かった。晩年の隆信は肥満体で輿に乗らねば動けないような状態であった。手勢を次々と討ち取られた隆信は満足に動くことも出来ず、島津に討ち取られていった。享年56歳。龍造寺氏は危機を迎えるも隆信の忠臣だった鍋島信昌が後継者の龍造寺政家を補佐して豊臣政権・徳川政権時代を生き残ったが、やがて主家に代わって国主の地位を担うようになっていく。隆信が非業の死を遂げたのは幼い頃から多くの家臣の離反を目にし、人間不信を最後まで拭い切れなかったことが後を引いた可能性がある。武将としての気概を晩年は失い、肥満体になるなどした油断もあったかもしれないが既に隠居の身でありながら前線に出たことも仇になっただろうか。この漫画は隆信初の伝記漫画だが、画がやや荒い。肥前の熊と畏怖された隆信の人となりに合った絵とも言えるが。
0コメント